鳩山さん(木工家)

不意に鳩山さんは、私の仕事場へやって来た。
いつも、不意にやってくる。縁側に座って、喋った。お茶を出す暇もなく、彼の家へ行こうということになった。
当時、私は、木彫家の看板を掲げていた。仕事が忙しいということは、まずなかったから、人に誘われると、すぐに付き合った。

正直言って、勤勉に仕事をしていなかった。木彫家を志して、木彫り屋さんに弟子入りして、三ヶ月経った時、「これ、そんなにおもしろくねーな。」と思った。そのうち、おもしろくなるのかもしれない、と思っているうちに10年経っていた。
たまに、おもしろいと感じる時期があったが概ねの感想は、変わらなかった。

注文があると、仕事したが注文がないと、あまり作らなかった。先輩の木彫家を見ていると、倦まず弛まず、彫っていた。いつ、仕事場をお邪魔しても、彫っていた。
生活が苦しくて、精神的にきつくても、それでも彫っていた。そういう時は、おかしな物を作っていたがそれでも、作っている。ここが凄い。

手塚治虫が虫プロを潰したとき、幽霊ばかり出て来るおかしな漫画を描いていたそうだがそんな状態の中でも、描き続けるというところが凄い。一流になる人は、どの世界の人でも勤勉だ。例外は、つげ義春だけだろう。

その事に、50歳過ぎてから気づいたのが敗因だった。さっさと商売替えするべきだったのだろうか。だが何をやっても勤勉では、なかったはずだから、これで、良かったのだろう。
先日、NHKの音楽の番組を見ていたら、音大の教授が「モーツァルトの時代、音楽家は、注文が入った時にしか、仕事しませんでした。彼の時代、注文もないのに、自分の心や考えを表現するために、作曲することは、ありえませんでした。モーツァルトもそうでした。」と話していた。だから、あの時代の私は、あれで良かったのでは、ないかと思った。
趣味とは、なったが今だに木彫りをやっている。

鳩山さんは、中年で、小柄で、軽量で、鼻の下と顎の先に、髭を生やしていた。少し、高いトーンの声で、快活に喋った。
「小学生の頃、ポケットの中の肥後守のナイフを握りしめながら歩いていたな。なぜだったのかな。毎日、握りしめて、歩いていたな。」と、話した事がある。

鳩山さんの車で、鳩山さんの家へ着くと、男が二人、待っていて、鳩山さんを連れて行ってしまった。車に乗せられるとき、鳩山さんは、明るく快活に「だいじょうぶ。だいじょうぶ。何かの間違い。」と言った。
何がどういう間違いなのか、皆目わからなかった。

後で、わかったことだ。鳩山さんは、逮捕されたのだ。近隣一帯を泥棒していたのだそうだ。その日、隣町で空き巣に入り、家から出て来た所を帰って来た家の住人と鉢合わせした。そのまま、車に乗り込んで逃げた。でも、車のナンバーを見られたのがわかっていたから、自宅へ帰れなかった。

それで、私の仕事場へ来た。その時には、もう観念していたのだろう。逮捕されるのに、私に付き添ってもらいたかったのだろうか。
彼は、5年ほど前に、この町へ移り住んで来たのだが「女房と別れて、こっちへ来た。」と話した。みんな、それを信じていたが彼に結婚歴は、なかったそうだ。
私は、鳩山さんに「別れた女房が再婚したよ。わかっているけど、なんかな・・なんか・・・」と、しんみりさせられた事があった。なぜか、その嘘は、逮捕の後にばれた。罪のない嘘では、あった。

とすると、あの話も嘘だったのかもしれない。
鳩山さんが若い頃、イタリアに行き、長期滞在した頃の話だ。「イタリアの山奥の道を歩いているうちに、日が暮れて、いつまで経っても、目的の村に着かないんだ。どうやら、道を間違えたらしい。すっかり暗くなって、寒くなったんだ。どうしようもなく寒くなって、それでも、灯りのひとつも見えない。
焦り始めたら、道の際に家があったんだ。灯りは、ついてない。空き家だろうと思って、中へ入ったよ。中は、真っ暗で、俺のポケットにはライターひとつなかったんで、そのまま、床の上に寝たんだ。ぐっすり寝ちまって、薄明るくなって目覚めた。ここは、どこだろう?今は夜だっけ、朝だっけ、なんて思いながらね。

で、周りを見回すと、椅子に座った人が二三人居て、床に転がった人が三人居て、近寄ってみると、みんな死んでいたんだ。
俺は、一目散にその家を飛び出して、逃げたよ。」

イタリア時代の話は、色々聴かされたけれど、どれも、珍しくて、楽しい話ばかりだった。それも、全部嘘だったのだろうか。

2010.6.15


戻る